| 第十五問 律法と信仰について 第十六問 マタイによる福音書第五章十七節について 第十七問 ガラテヤ人への手紙第三章二一節について 第十八問 贖いについて 第十九問 ローマ人への手紙第二章十二節について 第二〇問 復活を信じることについて 第二一問 復活と救いについて 第二二問 コリント人への第一の手紙第十五章三節と十七節について 第二三問 神の御子を信じることについて 第二四問 旧約の奇跡について 第二五問 クリスチャンの性質について 第二六問 ローマ人への手紙第五章九節と第四章二五節について 第二七問 キリストの十字架刑について 第二八問 ヨハネによる福音書第十九章三〇節とコロサイ人への手紙 第一章二四節について 第二九問 キリストの死について 第三〇問 コリント人への第二の手紙第五章二一節について 第三一問 客観的な連合と主観的な連合について 第三二問 キリストにあるわたしたちの地位について 第三三問 わたしたちが十字架につけられた時について 第三四問 血と十字架について 第三五問 信じることと滅びることについて 第三六問 ヨハネによる福音書第一章十二節から十三節と 啓示録第二二章十七節について 第三七問 ルカによる福音書第十章二五節から三七節について 第三八問 ルカによる福音書第十六章について 第三九問 ローマ人への手紙第四章とヤコブの手紙第二章について 第四〇問 ルカによる福音書第十五章の三つのたとえについて 第四一問 キリストと聖霊について 第四二問 和解について 第四三問 救われる条件について 第四四問 赦されない罪について 第四五問 恵みから落ちることについて 第四六問 ヘブル人への手紙第六章四節から八節について 第四七問 ヘブル人への手紙第十章二六節について 第四八問 さまざまな種類の赦しについて 第四九問 さまざまな種類の救いについて 第五〇問 聖別について
本書の「福音真理問答」は、一九三四年ごろにウオッチマン・ニーによって出版されました。一九三四年六月の「現在の証し」誌、第三五号の裏表紙に載せられた以下のお知らせは、本書が出版された時期を示しています。 「『福音真理問答』と『小さな群れの詩歌』の楽譜は、いずれも準備している最中です。しかし、それらが出版される正確な日がいつになるかはわかりません。出版される日が決まり次第、直ちにお知らせいたします」。 本書は、救い、義認、律法、恵みなどの基本的な真理に関する五十の質問と答えから構成されています。 |
| 第一問 恵みについて 恵みとは: (一)人が当然得るべきものを与えることでしょうか? (二)人が当然得るべきもののほかに、人の欠けたところを補うこと でしょうか? (三)人が得るべきでないから与えないことでしょうか? (四)人が得るべきでないから少なめに与えることでしょうか? (五)恵みを受けた者を負債者とすることでしょうか? (六)直接、罪人の罪を赦すことでしょうか? (七)直接、信者の罪を赦すことでしょうか? 聖書は言っています、「あなたがたは、恵みのゆえに、……救われた のです」(エペソ二・八)。それでは: (一)神は、人が良い行ないをしなければ救わないのでしょうか? (二)神は、人に自分のできる限りのことを尽くさせてから彼を救うの でしょうか? (三)神は、人が良くないから、その人を救わないことができるでしょ うか? (四)神は、この人はあの人に劣るからこの人を救わない、と言うこと ができるでしょうか? (五)恩返しと言う言葉は正しいでしょうか? (六)神は、罪人をあわれむがゆえに、自由に彼を赦すことができるで しょうか? (七)神は、信者を愛するがゆえに、自由に彼を赦すことができるでし ょうか? 第二問 違反ととがについて 聖書の中で「違反」と「とが」には、どんな区別があるでしょうか? 第三問 ローマ人への手紙第四章七節から八節について ローマ人への手紙第四章七節の「幸いである」と八節の「幸いである」とに区別があるでしょうか? もし区別があるなら、どんな区別でしょうか? 第四問 ローマ人への手紙第四章七節とヘブル人への手 紙第九章二六節について わたしたちの罪は「おおわれ」(ローマ四・七)ているのですか、それとも「取り除かれ」(ヘブル九・二六)ているのですか? この二つの区別はどこにありますか? 第五問 罪の清めについて 罪の清めは一回ですか、それとも何回もあるのでしょうか? 第六問 レビ記第四章一節から七節について なぜレビ記第四章一節から七節では、罪のためのささげ物の血が集会の天幕の中にもたらされ、神の御前で至聖所の幕に向かって七たび振りかけられたのですか? レビ記第十四章一節から七節のらい病人の清めの例によれば、血はらい病人の体に七回振りかけられたのではないでしょうか? 第七問 罪ともろもろの罪について 聖書の中の「罪」と「もろもろの罪」とは、どのように区別して用いられていますか? 第八問 恵みと義について わたしたちは神の恵みによって救われるのですか、それとも神の義によって救われるのですか? 救いのどの部分が神の恵みによってわたしたちのために行なわれ、またどの部分が神の義によってわたしたちのために行なわれるのですか? 第九問 神の義とキリストの義について 神の義(ローマ三・二一―二六)がわたしたちを救うのでしょうか、それともキリストの義がわたしたちを救うのでしょうか? 両者の区別はどこにあるのでしょうか? またその意義は何でしょうか? 第十問 キリストと義について キリストの義と、キリストが義となられたことには、どんな区別がありますか? 第十一問 イエスが受けた迫害について 主イエスが受けた迫害は、神の何を表していますか? 主イエスが死を被ったことは、神の何を表していますか? 第十二問 キリストの二つの性質について 神の贖いの計画の中で、なぜキリストは同時に神と人でなければならないのですか? 第十三問 ローマ人への手紙第五章十八節から十九節について なぜローマ人への手紙第五章十八節は「一度の違犯……一度の義なる行為」と言い、第五章十九節では「一人の人の不従順……一人の方の従順」と言うのでしょうか? 第十四問 キリストと律法について キリストはわたしたちに代わって律法を守られたのでしょうか? わたしたちの救いは、彼が律法を守られることと直接関係があるのでしょうか? 第十五問 律法と信仰について キリストはどのようにして、律法と預言者を成就されたのでしょうか(マタイ五・十七)? どのようにしてわたしたちは、信仰によって「律法を確立する」のでしょうか(ローマ三・三一)? 信者はなぜ、「律法の下にはな」いのでしょうか(ローマ六・十四)? 「律法の下にはなく」とは、どういう意味でしょうか? なぜキリストは、「律法の終わり」(ローマ十・四、原文)なのでしょうか? 第十六問 マタイによる福音書第五章十七節について キリストはどのようにして、律法と預言者を成就されたのでしょうか(マタイ五・十七)? 第十七問 ガラテヤ人への手紙第三章二一節について ガラテヤ人への手紙第三章二一節は、「とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法が義を与えることのできるものであったなら、いのちは確かに律法によるものだったでしょう」とは言っていません。このように言うのは間違いでしょうか。もし間違いであるなら、どこが間違っていますか? 第十八問 贖いについて 「贖い」とはどういう意味でしょうか? わたしたちはどこから贖われるのでしょうか? 第十九問 ローマ人への手紙第二章十二節について ローマ人への手紙第二章十二節は、人が律法なしに(その意味は、神が彼に律法を与えなかったということです)罪を犯したなら滅びない、と言っているのでしょうか? また罪人は福音を聞いたことがなくても、彼の終局は滅びなのでしょうか? 第二〇問 復活を信じることについて 救われることはキリストの死を根拠としていますが、なぜ聖書はわたしたちに、単にキリストの死を信じるだけでなく、キリストの復活をも信じるようにと言うのでしょうか? 第二一問 復活と救いについて キリストは十字架上で、「完了した」(ヨハネ十九・三〇)と言われました。これは、十字架のみわざがこの上なく完全であることを示します。それでは、なぜ彼の復活がなければ、わたしたちはまだ救われることができないのでしょうか? 第二二問 コリント人への第一の手紙第十五章三節と十七節について コリント人への第一の手紙第十五章三節は、「キリストが私たちの罪のために死なれた」と言います。なぜ十七節は、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、……あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです」と言っているのでしょうか? 第二三問 神の御子を信じることについて なぜ聖書はわたしたちに、神の御子を信じるようにと言うのですか? 神の御子を信じるとは、どういう意味ですか? 神の御子を信じることは、キリストがわたしたちのために達成された多くのみわざの中のどれと関係がありますか? 人は、彼が人の子であると信じるだけで救われるのですか? 第二四問 旧約の奇跡について 旧約で最も重要な奇跡は何ですか? この奇跡は何を指しているのですか? 第二五問 クリスチャンの性質について アダムは神によって創造されたのであって、神から生まれたのではありません。キリストは神から生まれたのであって、神によって創造されたのではありません。それでは、わたしたちクリスチャンは、神から生まれたのでしょうか、それとも神によって創造されたのでしょうか? 第二六問 ローマ人への手紙第五章九節と第四章二五節について 血によって義とされる(ローマ五・九)とは、どういう意味ですか? 復活によって義とされる(ローマ四・二五)とは、どういう意味ですか? 第二七問 キリストの十字架刑について キリストの十字架刑には二つの面、人によって釘づけられた面と、神によって釘づけられた面とがあります。使徒行伝第二章二三節、三六節、第三章十五節は、人が彼を十字架につけたと言っています。一方、イザヤ書第五三章六節、十節は、神が彼を十字架につけたと言っています。それでは、キリストの十字架刑のどの部分が人によってなされ、どの部分が神によってなされたのですか? 第二八問 ヨハネによる福音書第十九章三〇節とコロサイ人への手紙第一章二四節について ヨハネによる福音書第十九章三〇節は、「完了した」と言っています。コロサイ人への手紙第一章二四節は、「キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」と言っています。何が「完了した」のですか?そして何が「欠け」ているのですか? 第二九問 キリストの死について キリストがわたしたちのために死なれたこと(ローマ五・八)と、キリストがわたしたちの罪のために死なれたこと(Tコリント十五・三)とには、どんな違いがありますか? 第三〇問 コリント人への第二の手紙第五章二一節について 神の贖いにおいて、クリスチャンはキリストと地位を交換するのでしょうか? 言い換えれば、義なるキリストが不義となり、不義な罪人が義とされたのでしょうか(Uコリント五・二一)? 第三一問 客観的な連合と主観的な連合について 客観的な面においては、いつわたしたちはキリストと連合されたのでしょうか、また主観的な面においては、いつわたしたちはキリストと連合されたのでしょうか? 第三二問 キリストにあるわたしたちの地位について なぜ聖書は、わたしたちが「主にあって」、「キリストにあって」、「キリスト・イエスにあって」と言い、決して「イエスにあって」とか「イエス・キリストにあって」とは言わないのでしょうか? 第三三問 わたしたちが十字架につけられた時について わたしたちがキリストと共に十字架につけられたのはいつでしたか? 彼が十字架に釘づけられた時から息を引き取られるまでの間でしょうか? あるいは息を引き取られた瞬間でしょうか? 第三四問 血と十字架について 血の意義と効用、そして十字架の意義と効用には、どんな区別がありますか? 聖書はなぜ、わたしたちが主と共に血を流したと言わず、わたしたちは主と共に十字架につけられた、と言うのでしょうか? 第三五問 信じることと滅びることについて 聖書は、主イエスはすべての人のために死なれた、と告げています。それでは、人が主イエスを信じなければ、その人は滅びるのでしょうか? 第三六問 ヨハネによる福音書第一章十二節から 十三節と啓示録第二二章十七節について ヨハネによる福音書第一章十二節から十三節は、人が命を得るのは「人の意欲によってでもなく」と言っており、啓示録第二二章十七節では、「ほしい者は」命を得ることができる、と言っていますが、これはいったいどういうことですか? 第三七問 ルカによる福音書第十章二五節から三七節について ルカによる福音書第十章二五節から三七節は、人が心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛し、またあなたの隣人をあなた自身のように愛するなら、永遠の命を得ると言っているのでしょうか? もしそうなら、永遠の命は行ないにはよらないのでしょうか? 第三八問 ルカによる福音書第十六章について ルカによる福音書第十六章には、金持ちとラザロの物語があります。金持ちが滅びたのは、生前良いものを受けたからであり、ラザロが救われたのは、生前悪いものを受けたからでしょうか? あるいは、他に原因があるのでしょうか? 第三九問 ローマ人への手紙第四章とヤコブの手紙第二章について ローマ人への手紙第四章は、アブラハムは信仰によって義とされた、と言っています。ところがヤコブの手紙第二章では、アブラハムは行ないによって義とされた、と言っています。この二種類の義とされることを、どのように説明しますか? 互いにどのような関係があるのですか? 第四〇問 ルカによる福音書第十五章の三つのたとえについて なぜルカによる福音書第十五章は、三つのたとえを用いているのですか? 一つで十分ではないのですか? 第四一問 キリストと聖霊について 主イエスの死と聖霊の降臨とに、どんな関係がありますか? 第四二問 和解について 聖書の中の和解についての教えは、どのように言っているでしょうか? 人が神に和解させられるのですか? それとも、神が人に和解させられるのですか? 第四三問 救われる条件について 救われる(永遠の命を得る)条件は何ですか? 第四四問 赦されない罪について 赦されない罪とは何でしょうか? このような罪を犯す者は、救われないのでしょうか? いったいこの罪の意味は何でしょうか? 第四五問 恵みから落ちることについて 「恵みから落ちてしまった」(ガラテヤ五・四)とは、どういう意味でしょうか? 恵みから落ちている人は、救われるのでしょうか? 第四六問 ヘブル人への手紙第六章四節から八節について ヘブル人への手紙第六章四節から八節で述べられている人々は、滅びるのでしょうか? 第四七問 ヘブル人への手紙第十章二六節について ヘブル人への手紙第十章二六節の、「罪のためのいけにえは、もはや残されていません」とは、どういう意味でしょうか? 第四八問 さまざまな種類の赦しについて 聖書の中に述べられている神による赦しは、何種類ありますか? これらの赦しには、それぞれどのような意味がありますか? 第四九問 さまざまな種類の救いについて 聖書の中に述べられている救いは、何種類ありますか? その数種類の救いは、それぞれどのように解釈するのでしょうか? 第五〇問 聖別について 聖別の意味は何でしょうか? わたしたちはどのように聖別されるのでしょうか? ☆このページには「福音真理問答」の「問い」のみを掲載します。 |