ウオッチマン全集 第十一巻
目 次
   ウオッチマン・ニー全集 第一期 初期の著作
           (一九二二年―一九三四年)
第十一巻 現在の証し(四)
 第三二号
  第三回勝利の集会に関する手紙
  最も温和な人
 第三三号
  公開の手紙
  目を覚まして祈る
  信仰によって生きる
  信仰によって生きることと真理の中へと入り込む過程

第三回勝利の集会
  第三回勝利の集会に関する説明の言葉
 第三四号
  お知らせ
  第三回勝利の集会の予備のメッセージ
  神の中心、あるいは神の中心と普遍
  神の勝利者
 第三五号
  宮に仕えるか、神に仕えるか
  律法に対して死んだ
 第三六号
  浅薄な生活
 関連のメッセージ
  わたしたちは何であるのか
  働き人の問題
  
現在の証し総目録


第三回勝利の集会に関する手紙

 
第三二号

 「イエスは主である!」(Tコリント十二・三)

 わたしたちはすでに同じ性質の集会を二回持ちました。それは一九二八年の二月と一九三一年十月の集会です。昨年の十一月に開かれた集会は性質を異にします。こういうわけで、今度の集会は第三回勝利の集会となります。
 わたしは兄弟たちに、この集会がどのような性質のものであるかを理解してもらいたいと思います。つまり、聖書の中であまり重要でない問題については注意を払うことはしません。わたしたちが聖霊の中で見たいのは、キリスト、十字架につけられたキリストです。預言、教会の組織、聖書解釈、予表、バプテスマ、按手、異言、奇跡、その他多くの問題は、それぞれしかるべき場合に論じるべきです。クリスチャンとして、それらは正当な事柄であり、否定すべきではありません。しかし、これらは聖書の中心点ではなく、聖霊の命の中心でもありません。神はただ一つの中心を持ちます。それはキリスト、十字架につけられたキリストです。わたしたちが毎年行なうこの集会は、わたしたちをこの中心へともたらします。ですから、わたしたちはこれらの集会では小さな問題に触れるのでなく、むしろ神ご自身が強調される中心点に重点を置きたいと思います。
 多くの人々は、なぜ「現在の証し」誌は、以前の「クリスチャン」誌で取り上げた記事と似たものを収録しないのかと、わたしたちに問います。しかし、彼らは、「現在の証し」誌は神についての中心的なメッセージのみを解き放っていることを認識していません。福音のメッセージ、預言の解釈、聖書注解、質疑応答などの多くは、神の中心ではありません。多くの信者が、これらの側面的な問題に関するわたしたちの著作を大切にして、中心的なメッセージを軽視しているのは、残念なことです。これらは無益だというのではありません。それらには、それ自身の意義があります。しかし、それは中心ではありません。もしある人が神の中心を把握していないなら、これらすべての真理は彼にとって単なる教理となり、何の助けにもならないでしょう。神の中心にあって神を知り、その中心に生きることが、勝利、聖、栄光です。その他すべてのものは、その後についてくるものです。
 今回の特別集会において、以前と同様にわたしたちは中心的なメッセージに重点を置きたいと願います。多くの祈りの後、わたしは今回の特別集会の主題は、「神の勝利者」であると感じます。この集会におけるすべては、この一点、すなわち聖書の中心に向けられます。集会の日は決定されましたから、すべての兄弟たちに、この集会のためにさらに祈るようお願いします。一九二八年の特別集会と異なり、一九三一年と一九三二年の集会には祈りが欠けていました。その結果、これらの集会では何も明らかな祝福を見ることがありませんでした。ですから、わたしたちは祈りの負担と祈りの霊を神に求めなければなりません。わたしたちは祈る必要があり、熱心に祈らなければなりません。おそらく、わたしたちは断食して祈る必要さえあるでしょう。しかし、わたしたちは聖霊の中で祈らなければなりません! 神がわたしたちを祝福されるかどうかは、わたしたちの祈りにかかっています。
 最後に、この特別集会におけるわたしたちの望みは、キリストに出会い、天から光と啓示を受け、この世の人たちの知らない命で満たされることです。わたしたちは多くの小さな、外側の事柄に注意を払いません。「キリスト……を知り」(ピリピ三・十)、これがわたしたちの求めるものです。
            あなたがたの兄弟 ウオッチマン・ニー 
                    一九三三年十二月十三日