| ウオッチマン・ニー全集 第二巻 |
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(一九二二年―一九三四年) 第二巻 十字架の言葉 序言 一 十字架の言葉 二 十字架を宣べ伝える者 三 神のみこころの中を歩む 四 どのようにして神のみこころを知るか 五 天はどこにあるか? 六 普遍的な父:誤謬 七 「現代科学とヨシュア記の長日」に対する序文 八 現代神学の高等批評は信じるに値するか? 九 初信者のための聖書課程 序文―キリストを受け入れないことの言い訳―キリストの救いの真理―神のメッセージ―大きな比較―失われた人に対して何を話すか―救われるために何をすればよいのですか?―キリストの尊い血―罪の問題―自由―神の愛―救いの確信―二つの性質―律法と恵みの違い―信仰と行ない―救いと報酬―義とされること―聖別―教会―裁き―キリストの二回目の来臨―働きのために備える―ささげ物―聖霊の力―悪魔―なぜ祈りが神に答えられないか―救い 十 一年一回の聖書通読 |
一九二〇年代のウオッチマン・ニー兄弟の四つの主要な働きは、「クリスチャンの生活と戦い」、「クリスチャン」誌、「霊の人」、「現在の証し」誌です。これらのものに加えて、わたしたちは、ウオッチマン・ニー兄弟の務めの初期における種々の働きの幾つかを、本巻に集めました。第一、二、三、四章は、より深い性質のものであり、クリスチャンのためです。第五、六、七、八章は、近代主義の教えに対するクリスチャン信仰の防護です。第九、十章は、初信者のための聖書課程の材料です。 第一章、「十字架の言葉」は、実はウオッチマン・ニーによる二つの記事のシリーズで、最初、一九二五年に南京で、「霊の光」誌の中で出版されました。最初の記事、「罪に対して主と共に死ぬ」は、一九二五年六月十日、第二十七号に掲載されています。第二番目の記事は、「自己に対して主と共に死ぬ」で、一九二五年八月十日、第二十八号に掲載されています。 第二章の「十字架を宣べ伝える者」は、福建省廈門の近くの鼓浪嶼で、一九二六年一月十五日に書かれた本です。この本は、「クリスチャン」誌の第九号に掲載されています。本書の抜粋は、「クリスチャン」誌の第七号で、同じタイトルで単行本として出版されました(「全集」の第六巻)。 第三章、「神のみこころの中を歩む」は最初、一九二四年十一月四日、南京で「霊の光」誌の中で出版されました。それは、南京のクェーカー改革教会の創設者によって解き放たれたメッセージの記録です。 第四章、「どのようにして神のみこころを知るか」は、二つの記事の組み合わせです。最初のものは、一九二五年二月と六月に、南京で「霊の光」誌の中で出されました。それは後ほど、福音書房によって単行本として出版されました。「クリスチャン」誌の第八号(一九二六年六月)で、この本は新しい出版物として出されました。「クリスチャン」誌第十号(一九二六年八月)には、以下の序文があります。 一冊十セント。ある読者は言いました、「この本は、多くの面で自分が主に従おうとしていないことを知るように、わたしに教えてくれました」。この本は、神のみこころを知ることについて、多くの質問に答えています。霊の道を追い求めるすべての人は、一冊、手にしていなければなりません。 第五章、「天はどこにあるか?」は、一九二四年十二月十三日、香港の途上のホーサンリネルの車中で書かれました。それはまず、「クリスチャン」誌第三号(一九二六年一月)の終わりの区分、「報告」で述べられています。第六章、「普遍的な父:誤謬」は、「クリスチャン」誌第二十号(一九二七年八月)の終わりの「報告」の区分で述べられました。第七章、「現代科学とヨシュア記の長日に対する序文」は、グレンデール印刷所で印刷され、一九二七年、科学研究所によって出版された、ハリー・リンマーによる「現代科学とヨシュア記の長日」の中国語訳に対して、ウオッチマン・ニーによって書かれた序文です。実際の本は、ヨシュア記における長日の科学的な説明です。第八章、「現代神学の高等批評は信じるに値するか?」は、現代主義に対する反論です。それは、一九二六年二月、「救い」誌で出版されました。 「初信者のための聖書課程」は、本巻の第九章にあります。それは、初信者のために、御言葉の節を二十六の題目に分けて編集されたもので、一九二七年一月十一日に完成されました。簡単な説明が、幾つかの節に与えられています。しかしそれらの大部分は、何の説明もなしに引用されています。 第十章、「一年一回の聖書通読」は、新しい信者が一年で聖書を通読することを助けるために、用意されました。それは、聖書のすべての節を、日ごとに読むように三百六十五に分けています。そのタイトルは、一九三二年、「霊のメッセージについての注」第二十七号に引き続いて、福音書房によって出版された本のリストに出てきます。 一九二〇年代に出版された他の幾つかの書物や記事は、わたしたちの手に入りません。これらには以下のものがあります。 一 「聖霊の働き」。「クリスチャン」誌の第三号、本書については以下の報告があります。 本書は、聖霊の働きの三つの段階―再生、聖別、バプテスマを徹底的に説明しています。本書についての重要な事柄は、それが聖徒たちに、彼らが聖霊を追い求めることで聖霊の働きの明確な分析を与える、ということです。 「クリスチャン」誌の第十号に、本書に対する以下の付け加えの引用が含まれています。 本書の価値は、この出版後の数か月の事実から見ることができます。わたしたちは千部以上を売りました。 ある聖書学校の校長は、「本書は聖霊の言葉である」と認めました。第一版は、わずか数部しか残っていません。 魏光禧兄弟の注から、本書について以下のような引用もあります。 再生と充満の違いは、1、再生は救いと関係があるが、充満は勝利と関係がある。2、再生は命の事柄であるが、充満はわたしたちの生活の事柄である。3、再生においてわたしたちは義とされるが、充満される時、わたしたちは満足する。4、再生は、新しい命が古いアダムの命に加わることであるが、充満は、聖霊が内側で満たすことを通しての、新しい命の発展である。5、再生は、十字架の身代わりの死を通して聖霊が達成したことの結果であるが、充満は、十字架の完全な意義を認識して、人の霊が内側で満たされることの成果である。6、再生は命の始まりであるが、充満は命の円熟である。 二 「来たるべき事柄の図解」。これは、預言についての図解です。「クリスチャン」誌第三号に、図解について以下の報告が掲載されています。 この図解のさまざまな出来事の順序は、この雑誌の編集者によって配列されています。それは、信者の携え上げ、大患難の到来、千年期の確立などについての、あらゆる預言とスケッチのアウトラインを見せています。最後は図解の説明です。図解の絵は芸術家によって書かれており、とても引き付けるものです。 三 「三時間の聖書説明」。これは翻訳書です。「クリスチャン」誌第十一号に、以下の報告が掲載されています。 本書は、日本の偉大な伝道者、 氏(氏名不詳)によって書かれました。今日の日本の多くのクリスチャンが、 彼の宣べ伝えを通して救われました。彼のすべての説教は三時間続き、同じメッセージを内容としています。彼は、「一つだけの説教を持つ」伝道者です。本書には三つの章があります。それは、1、神、2、罪、3、救いです。本書には霊感があり、興味もあります。 四 「マタイによる福音書からの落ち穂」。これは、マタイによる福音書についての一連の学びで、第一章と第二章は、一九二四年八月と一九二六年五月の期間に、「明けの明星」誌第二二〇号から第二三九号で出版されました。わたしたちには、これらの記事の元原稿はありません。 本巻のさまざまな記事が光を注いで、読者たちに命を分け与えますように。 |
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