ウオッチマン・ニー全集第二十七巻
目 次

ウオッチマン・ニー全集 第二期 中期の著作
      (一九三四年から一九四二年まで)

第二七巻 正常なキリスト者の信仰
序言

第一区分:キリストと神
第 一 編 神についての探究
第 二 編 神の語られた言葉
第 三 編 神が人と成られた(一)
第 四 編 神が人と成られた(二)

第二区分:キリストとキリスト教
第 五 編 キリストであって教理ではない
第 六 編 キリストがあってはじめて教理がある
第 七 編 二人の団体的な人
第 八 編 キリストが人の命となる

第三区分:キリストと新しい命
第 九 編 罪の赦し
第 十 編 罪人がキリストと共に十字架につけられる
第十一編 その霊の中の命としてのキリスト
第十二編 信仰を通しての命

第四区分:キリストとキリスト者
第十三編 信仰の意味
第十四編 信仰の生活
第十五編 この世に対して

付録
第 一 編 召会に対して
第 二 編 神はおられる
序 言

 本巻は、倪柝聲(ウオッチマン・ニー)兄弟によって与えられたメッセージから成っています。第一編から第十五編と付録の第一編は、以前「正常なキリスト者の信仰」として出版されたものです。第一編から第十五編は、一九三六年に天津で倪柝聲(ウオッチマン・ニー)によって与えられた一連の福音メッセージです。付録の第一編の「召会に対して」は、その題目が関連した性質であるため、「正常なキリスト者の信仰」の中に第十六編として収められました。それは一九三六年の天津の特別集会の一部分ではありませんでしたが、本巻の中に付録として収められています。また、付録の第二編は「神はおられる」ですが、これは最初は一九三六年一月に、(上海福音書房によって発行された)「良きおとずれ」誌に掲載されました。両方のメッセージともこの同じ期間に、倪(ニー)兄弟によって与えられ、上海福音書房によって出版されました。
 「正常なキリスト者の信仰」の各編は、集会中に記録されたノートから編集されました。語り手の校閲は受けていません。このシリーズ全体は四つの区分に分けられ、信仰に関する題目を内容としており、その範囲は、神に対する認識、キリストに対する認識、聖書に対する認識から、贖い、命、その霊に関する教えにまでわたっています。