| ウオッチマン・ニー全集第三十九巻 |
ウオッチマン・ニー全集 第二期 中期の著作 (一九三四年から一九四二年まで) 第三九巻 座す、歩む、立つ この世を愛してはならない 「座す、歩む、立つ」と「この世を愛してはならない」への序文 座す、歩む、立つ 第四版への序文 序 言 第一章 座す 第二章 歩む 第三章 立つ この世を愛してはならない 序 文 第 一 章 この世の体系の背後 第 二 章 神から離れる傾向 第 三 章 水の下にあるこの世 第 四 章 この世はわたしに対して十字架につけられた 第 五 章 区別 第 六 章 この世の光 第 七 章 この世からの分離 第 八 章 互いに足を洗い合う 第 九 章 彼らの心にあるわたしの律法 第 十 章 来たるべき時代の力 第十一章 強奪する者から奪い返す |
| ウオッチマン・ニー全集の「座す、歩む、立つ」と 「この世を愛してはならない」への序文 一九三八年七月に、ウオッチマン・ニーは英国へ旅をし、一九三九年の五月までそこに滞在しました。この期間に、彼はヨーロッパ中を旅し、主が与えてくださった光から数多くのメッセージをしました。これらのメッセージの多くは英語で語られましたが、中国語には翻訳されませんでした。 しかしながら、これらのメッセージを内容とする書が、アングス・キンニア(Angus Kinnear)氏の監修の下で何冊か出版されました。これらの書の版権は、キンニア氏の出版会社であるキングスウェイ出版社(Kingsway Publishing)が有しています。「座す、歩む、立つ」や「この世を愛してはならない」などを含むこれらの書は、英語によるウオッチマン・ニーの務めの傑作として認められており、無数のクリスチャンに霊的な助けを与えてきました。これらの書が本全集に収められたのは、キングスウェイ出版社が進んで協力と許可を与えてくださった結果です。リビング・ストリーム・ミニストリーはキングスウェイ出版社に対し、このことへの協力のゆえに感謝の意を表します。 日本語版では、引用聖句は回復訳に基づいています。 |
クリスチャンの生活が神に喜ばれるものになるためには、その生活はすべてのことにおいて、神へ正しく調整されなければなりません。わたしたちは往々にして、自分の生活の中で、自分の振る舞いのある特定な細部に対して、あるいは、神のためのわたしたちの働きのある特定な細部に対して、この原則を適用することを強調してしまいます。そのため、しばしばわたしたちは、必要とされている調整の範囲や、時には、どこから始めるべきかの開始点も正しく認識することができないのです。しかし、神はすべてのものを、始めから終わりまで、御子の成就によって計られます。聖書ははっきりと、「すべてのものを、彼の中でかしらにつり上げようとされたのです。その方の中で、わたしたちも嗣業として定められ」ることは、神の大いなる喜びであると述べています(エペソ一・九―十一)。わたしは切に祈ります。どうか、これから持つ交わりにより、わたしたちの目が新たに開かれて、わたしたちのための神聖な目的を知ることを望むことが可能なのは、わたしたちのすべての強調点をそこに置くことによるだけであることを、見ることが出来ますように。わた したちのための神聖な目的は、「わたしたちが、彼の栄光の賛美となる」ことです(一・十二)。 わたしたちは、自分たちの思考の背景として、エペソ人へのパウロの手紙を取り上げることにします。 パウロの多くの書簡と同様に、この手紙は当然二つの区分に分けられています。一つは教理の区分であり、一つは実行の区分です。教理の区分(第一章から第三章まで)は、おもに、神がキリストの中でわたしたちのために完成された贖いの偉大な事実に関するものです。それから、実行の区分(第四章から第六章まで)になると、クリスチャンの行ないと熱意という観点から、要求がわたしたちに与えられます。この要求は、贖いに照らして、神がわたしたちにしておられるのです。これら二つの区分は密接に関連があります。しかし、後ほど見るように、それぞれの区分の強調点は異なっています。 さらに、この手紙の第二の区分である実行面を扱う後半の部分は、便宜上その主題にしたがって再分割されます。それは、第四章一節から第六章九節までの長い最初の区分と、第六章十節から終わりまでのはるかに短い区分から成っています。最初の箇所では、この世のただ中にあるわたしたちの生活を取り扱います。後の箇所では、悪魔とのわたしたちの戦いを取り扱います。 こういうわけで、エペソ人への手紙全体では、次の三つの部分から構成されていることになります。すなわち、キリストの中での信者の地位を述べている部分(一・一―三・二一)と、この世における信者の生活を述べている部分(四・一―六・九)と、敵に対する信者の態度を述べている部分(六・十―二四)です。それは次のように要約することができます。 エペソ人への手紙 A 教理の部分(第一章―第三章) 一 キリストの中でのわたしたちの地位(一・一―三・二一) B 実行の部分(第四章―第六章) 二 この世におけるわたしたちの生活(四・一―六・九) 三 敵に対するわたしたちの態度(六・十―二四) パウロのすべての書簡の中で、わたしたちがクリスチャン生活に関する最も高い霊的な真理を見いだすのは、エペソ人への手紙においてです。この手紙は、霊的な豊富に満ちあふれています。しかし、同時にこの手紙は極めて実際的です。この手紙の前半では、キリストの中でのわたしたちの命は、最高の天において、キリストと一つに結合していることが啓示されています。この手紙の後半では、そのような天的な命がこの地上でわたしたちによっていかに生きられるべきかを、非常に実際的な言葉で述べています。わたしたちは、ここではこの手紙を詳細にわたって研究することはしません。わたしたちの意図は、この手紙の中心にある二、三の原則に触れることです。この目的のために、前述の三区分のそれぞれから、中心的な思想を表現すると思われるかぎの言葉を一つずつ選び出します。 この手紙の最初の区分の中に、「座す」(二・六)という言葉があります。この言葉が第一区分のかぎであり、真のクリスチャン経験の秘訣です。神はわたしたちを、キリストと共に天上で座らせてくださいました。ですからクリスチャンはすべて、自分の霊的な生活を、安息の場所から開始すべきです。第二の区分では、この世においてのわたしたちの生活を表すものとして、「歩む」(四・一)という言葉を選びます。これがこの区分の主題です。そこでは、わたしたちは自分のクリスチャンの歩みにおいて、わたしたちの高い召しに答える行ないを現すように奮起させられます。そして、最終的に、第三の区分には、敵に対するわたしたちの態度へのかぎがあります。これは、「立つ」(六・十一)という一つの言葉の中に含まれており、わたしたちの最終の勝利の地位を表しています。このようにして、わたしたちは次のものを持ちます。 エペソ人への手紙におけるかぎの言葉 一 キリストの中でのわたしたちの地位――「座す」(二・六) 二 この世におけるわたしたちの生活――「歩む」(四・一) 三 敵に対するわたしたちの態度――「立つ」(六・十一) 信者の生活は常に三つの面を表します。神についての面、人についての面、そしてサタンの力についての面です。神の御手の中で役に立つ者になるためには、人は三方面のすべてにおいて、正しく調整されなければなりません。すなわち、その地位において、その生活において、そしてその戦いにおいてです。人が、もしこれらのうちのどれかでも、その重要性を過小評価するならば、神の要求を満たすことができません。なぜなら、どの面も、神が「愛する者の中で、神がわたしたちを恵まれた彼の恵みの栄光の賛美」(一・六)を表す領域であるからです。 わたしたちは、「座す」、「歩む」、「立つ」の三つの言葉を、この手紙の教えの指針として、またわたしたちの心へ語りかける現在のメッセージのための聖句として取り上げることにします。これら三つの言葉の順序と関連の両方に注意するなら、非常に有益であることがわかると思います。 |