| ウオッチマン・ニー全集第五十八巻 |
序文 第一編 霊的判断(一)―判断のための原則と基本的条件 第二編 霊的判断(二)―霊を活用する 第三編 霊的判断(三)―診断と判断の根拠 第四編 霊的判断(四)―いやし 第五編 霊的判断の実例(一) 第六編 霊的判断の実例(二) 第七編 霊的判断の実例(三) 第八編 霊的判断の実例(四) 第九編 霊的判断の実例(五) 第十編 霊的判断の実例(六) 第十一編 霊的判断の実例(七) 第十二編 霊的判断の実例(八) 第十三編 霊的判断の実例(九) 第十四編 霊的判断の実例(十) 第十五編 霊的判断の実例(十一) 第十六編 霊的判断の実例(十二) 第十七編 霊的判断の実例(十三) 第十八編 霊的判断の実例(十四) 第十九編 霊的判断の実例(十五) 第二〇編 霊的判断の実例(十六) 第二一編 霊的判断の実例(十七) 第二二編 霊的判断の実例(十八) 第二三編 霊的判断の実例(十九) 第二四編 霊的判断の実例(二〇) 第二五編 霊的判断の実例(二一) 第二六編 霊的判断の実例(二二) 第二七編 霊的判断の実例(二三) 第二八編 霊的判断の実例(二四) 第二九編 霊的判断の実例(二五) 第三〇編 霊的判断の実例(二六) 第三一編 霊的判断の実例(二七) 第三二編 霊的判断の実例(二八) 第三三編 霊的判断の実例(二九) 第三四編 霊的判断の実例(三〇) 第三五編 霊的判断の実例(三一) 第三六編 霊的判断の実例(三二) 第三七編 霊的判断の実例(三三) 第三八編 霊的判断の実例(三四) 第三九編 霊的判断の実例(三五) 第四〇編 霊的判断の実例(三六) 第四一編 霊的判断の実例(三七) 第四二編 霊的判断の実例(三八) 第四三編 霊的判断の実例(三九) 第四四編 霊的判断の実例(四〇) 第四五編 霊的判断の実例(四一) 第四六編 霊的判断の実例(四二) 第四七編 霊的判断の実例(四三) 第四八編 霊的判断の実例(四四) 第四九編 霊的判断の実例(四五) 第五〇編 霊的判断の実例(四六) 第五一編 霊的判断の実例(四七) 第五二編 霊的判断の実例(四八) 第五三編 霊的判断の実例(四九) 第五四編 霊的判断の実例(五〇) 第五五編 霊的判断の実例(五一) 第五六編 霊的判断の実例(五二) 第五七編 霊的判断の実例(五三) 第五八編 霊的判断の実例(五四) 第五九編 霊的判断の実例(五五) 第六〇編 霊的判断の実例(五六) 第六一編 霊的判断の実例(五七) 第六二編 霊的判断の実例(五八) 第六三編 霊的判断の実例(五九) 第六四編 霊的判断の実例(六〇) 第六五編 霊的判断の実例(六一) 第六六編 霊的判断の実例(六二) 第六七編 霊的判断の実例(六三) 第六八編 霊的判断の実例(六四) 第六九編 霊的判断の実例(六五) 第七〇編 霊的判断の実例(六六) |
一九四八年、ウオッチマン・ニーは鼓嶺(クーリン)での訓練の期間中に、訓練生たちに自分の証しをするよう求めました。それから彼は、それぞれの証しに対して自分の批評や論評を述べました。これらの批評や論評は、訓練生たちの状態について霊的に判断するもの、あるいは識別するものでした。「判断」という言葉は、人の霊的状況についての適切な診断と治療方法を指しています。これらの判断は、霊的働きの原則、働き人の性格、人を理解し識別する指針、などについての洞察力を与えてくださいます。 本全集の第五八巻は、霊的判断の一般的な原則についての四つのメッセージと、六十六から成る訓練生たちの証しとそれぞれの証しについてのウオッチマン・ニーの批評と判断から構成されています。 霊的判断に関して、ウオッチマン・ニーは次のように述べています、「今日わたしたちが語っている判断というのは、法廷でなされるような判断ではなく、霊的判断です。わたしたちが第一に認識しなければならない事は、もしわたしたちがどのように判断し識別したらよいのか知らなければ、わたしたちは困難に遭遇するでしょうし、主への奉仕において容易に惑わされてしまうであろうということです。……わたしたちはさらに多くの取り扱いを経験することを追い求めるべきです。わたしたちの経験が多くなればなるほど、さらにわたしたちは兄弟姉妹を知るようになるでしょう。そうでなければ、兄弟姉妹が間違っている時でさえ、わたしたちはわからないままでいるでしょう。わたしたちは、小さな事であれ大きな事であれ、すべての事において聖霊による対処を受けなければなりません。何であれわたしたち自身が経たことであれば、他の人たちが同じ事を経験する時、わたしたちは容易に識別することができます。……もしわたしたちが自分自身を識別することにおいて経験があれば、他の人たちを診断するのが容易になります。ある方法を学びさえすれば、容易に人を認識することができるなどと、考えてはなりません。わたしたち自身がまず学課を学ばなければなりません。そうしてはじめて、わたしたちにとって方法も意味あるものとなります。わたしたちが他の人たちに対してどれだけ有用であるかは、わたしたち自身が主からどれだけ多くの対処を受けたかにかかっています」。 このように判断することの目的とゴールに関して、ウオッチマン・ニーは次のように述べています、「わたしたちが人々を認識するのは、彼らに供給するためです。わたしたちは、自分の好奇心を満足させるためにここにいるのではありません。わたしたちの目的は、建造することであり、破壊することではありません」。彼はまた次のようにも述べています、「わたしたちのゴールは、人を批判したり人の過ちを探すことではありません。わたしたちが人の状況を認識するのは、彼らに供給し、彼らに助けを与えるという目的のためです」。 |
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