ウオッチマン全集 第八巻
目 次

   ウオッチマン・ニー全集 第一期 初期の期間(一九二二年―一九三四年)
第八巻 現在の証し(一)
 紹介の言葉
  第一号
   公開の手紙
   祈りとは何か
   時代の終わりと王国
  第二号
   復興の夜明け
   人の一回目の罪
  第三号
   公開の手紙
   自己を知る
  第四号
   公開の手紙
   信仰
  第五号
   公開の手紙
   罪と体
  第六号
   本号の「現在の証し」
   体をささげる
   「アブラハムの信仰」の記事への補いの言葉
  第七号
   編者に代わっての手紙
  第八号
   編者に代わっての手紙
  第九号
   編者に代わっての手紙
  第十号
   編者に代わっての手紙
  第十二号
   個人的手紙
   ガラテヤ人への手紙第五章二四節
  第十三号
   公開の手紙
   霊に属するか、あるいは思いに属するか
  第十四号
   ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである
   新しいものと古いものとの間の戦い
  第十五号
   個人的手紙
   信者の救いの範囲
   復活と再生
   キリストの花嫁
  第十六号
   編者に代わっての手紙
   勝利の命
   霊的命の最も重要な条件
  第十七号
   編者に代わっての手紙
   最も栄光なる真理の二面
   意志の服従
  第十八号
   編者に代わっての手紙
   神の傑作
   信者の良心
   割礼
   ピリピ人への手紙第三章三節



紹介の言葉

 一九二二年の終わりに、ウオッチマン・ニー兄弟は「現在の証し」(The Present Testimony)という名称の雑誌を出版する負担を持ちました。中国語では「復興報」と呼ばれ、それは「リバイバル」を意味します。千四百部からなる第一号は、一九二三年一月に福州で出版されました。その主題は、特に神の深い事柄についてであり、中心としての主イエスを伴う命に関するメッセージからなっており、彼の命、彼の十字架刑、彼の復活、彼のとりなし、彼のからだ、彼の再来、彼の王国を特に強調しています。これらのメッセージは、霊の命を養うことを特に意図しており、知識の論議にかかわることはもくろんでいません。
 本誌は、ウオッチマン・ニー兄弟が「クリスチャン」誌を発行する負担を持った一九二五年まで継続しました。「現在の証し」誌の発行は、一九二八年一月に上海で再開されました。以下のものは、一九三六年十月二十日に鼓浪嶼で与えられた、彼の第二回の証しからの引用であり、彼の公開の手紙は、本誌の目的とその発行が再開されたことの理由を明らかにしています。
 わたしは病になる前、さまざまな場所を訪れて特別集会を導いただけでなく、優れた総合解説書を編纂する大志をも持っていました。わたしは多くの労力、時間、金銭をささげて、およそ百巻からなる膨大な解説書を書くことを意図しました。わたしが病になった時、南京で書き始めた「霊の人」を完成した後、わたしは聖書解釈の仕事が自分のものではないことを認識しました。しかしながら、その時以来、わたしはこのことに関してしばしば誘惑に会いました。病の後、神はわたしに、彼がわたしに与えてくださったメッセージの中心点は、聖書を解釈したり、一般的な福音を宣べ伝えたり、預言に注意を払ったりすることや、何か外面的なことのためではなく、生ける命の御言葉を強調するためであることを認識しました。こういうわけで、わたしは、「現在の証し」誌の発行を再開し、神の子供たちを霊的命と霊の戦いにおいて助けるべきであると感じます。
 一九二七年十二月に発行された「クリスチャン」誌の第二四号にある、彼の公開の手紙からの一部分を以下に続けます。
 聖書には、普通の信者には完全に理解することのできない教えが数多く含まれています。そのうえ、主の証しはずば抜けて偉大なものですから、わたしたちはそれを完全に受け入れることも、宣べ伝えることもできません。わたしが待ち望み、祈っていた時、神はわたしに個人的に担わせたい証しを託してくださいました。わたしは、「霊の人」は主がわたしに託された特別な証しのアウトラインであると考えています。過去数年間、主の手はわたしの上にあって日ごとに重くなり、わたしに御子主イエス・キリストの特別な証しを担うことを願っていることを強制的に知らせようとしておられます。一般的な証しは多くありますが、主はわたしが特別な証しを担うことを願っておられます。ですから、神が新しく託してくださった特別な証しを担うために、わたしは自分が最も行ないたい聖書解釈の働きをやめる準備をしています。それに関するすばらしいことは、上海で集会し、交わりをしているすべての兄弟姉妹に対して、主が同様の導きを与えておられることです。こういうわけで、「現在の証し」誌の次号を使って、わたしたちはキリストのからだに対し、神から受けたものにしたがって、特に「神 の深い事柄」を説明したいと思います。わたしたちは、主がわたしたちに託してくださったこの唯一の証しを、全き心をもって担うことを願います。わたしたちはまた、主がこの証しをわたしたちと共に担うことのできる多くの信者を起こしてくださるという全き認識を持っています。わたしたちが霊の道を歩めば歩むほど、わたしたちはますます十字架のメッセージの重要性を知るでしょう。今日の信者たちが失敗している原因は、十字架を彼らの中に深く働かせず、それによって肉のあらゆる働きを滅ぼしていないからです。信者たちの生活の中には依然として新創造と旧創造が混ざり合っています。それは、旧創造が今だに神によって置き換えられていないからです。このような混合は新創造にとって常に損失という結果になります。外側の振る舞いを正すこと、教会組織の卓越性、聖書知識の増し加わり、神の働きのために努力することは、すべて内側の肉の混合に対抗する保証としては不十分です。むしろ、肉はこれらの事柄において自由に活動することができ、またそれらを増大させることができます。このために、旧創造を廃止する十字架の働きが不可欠なのです。新創造と旧創造の間に立つ十字架 がなければ、人の霊的な命は偽りであり、浅薄であり、表面的です。信者の命は、常に「自己」と主の両方に関係がありますから、主が彼の合法的な地位を得るためには、十字架が自己を滅ぼさなければならないのです。千年期こそ、主がサタンに勝利する時となるでしょう。ですから、主の恵みによって、わたしたちは神の教会に対して、キリストのからだが立ち上がり、彼と共に働いて王国をもたらさなければならないことを思い出させなければならないのです。わたしたちの願いとは、敵がすぐにも恥を被り、キリストがすぐにも栄光を受けられることです。
 一九二八年一月から四月の「現在の証し」誌第一号に掲載された彼の公開の手紙において、彼は次のように述べています。
 わたしたちがこの小冊子を発行するのは、わたしたちが神から、彼の子供たちを特に霊の命と霊の戦いに関する事柄において助けるという委託を受けたからです。それぞれの時代には、その期間に特に必要とされる特定の真理があります。わたしたちこの最後の時代に生きている者たちにとっても、わたしたちが特に必要とする特別な真理がやはりなければなりません。「現在の証し」誌という手段によって、わたしたちはこの現在の時代において必要とされる真理の証しを担うことを意図しています。
 以下の言葉は、一九三一年一月から二月の「現在の証し」誌第十九号に掲載された公開の手紙から取られたものです。
 ある人は、「現在の証し」誌はあまりにも深遠で、あまりにも専門的すぎると考えるかもしれません。しかしながら、多くの読者がわたしたちに手紙を書いてくださり、他の雑誌も主によって大いに用いられているが、「現在の証し」誌は他の雑誌が供給しないものを供給してくれると述べておられます。こういうわけで、わたしたちが主から受けた命令は正しいものであると確信しています。主の恵みによって、「現在の証し」誌は今年、神の深い事柄を続けて語ることにし、主が願われるのであれば次の年も続けることにします。
 「現在の証し」誌の出版は、一九三四年七月から八月の第三六号で停止され、一九四八年に「証し」誌に置き換えられました。しかしながら、「現在の証し」誌の出版は、一九五一年一月に再開されました。
 (以上は、一九九二年日本福音書房によって発行された、ウイットネス・リー著「今の時代における神聖な啓示の先見者ウオッチマン・ニー」、二百六十八ページから二百七十二ページの引用です)。
 この全集では、一九二八年以後発行された三十六冊分だけの「現在の証し」誌を掲載しました。なぜなら、一九二三年から一九二五年の初期の号が手に入らなかったからです。これらの三十六冊は、四巻に分けて掲載されます。第一号から第十八号は第八巻に、第十九号から第二三号は第九巻に、第二四号から第三一号は第十巻に、第三二号から第三六号は第十一巻に掲載されます。第十一巻には、第三回勝利の集会からのメッセージを幾つか加えてあります。それらは、初版には掲載されませんでしたが、その期間の一連のメッセージの一部を形成するものです。
 わたしたちが掲載したのは、ニー兄弟自身によって書かれたメッセージだけであり、さらに彼のためにルツ・リーによって書かれた幾つかの論説も加えてあります。わたしたちは、ジェシー・ペンルイス、エバン・ロバーツ、オースチンスパークスなどのような著者によるものを翻訳した記事は掲載しませんでした。このような翻訳した記事の部類に入るものが、本誌の初期の号にしばしば現れますが、後期の号は、専らニー兄弟による雑誌でした。読者に本誌の各号で何が掲載されたかを知らせるために、第十一巻の最後に本誌の各号の総目録を含めてあります。